誕生から学生時代
兵庫県宝塚市生まれです。年が少し離れた姉2人がいて、こども時分から穏やかな性格だったと思います。甲子園に近かったこともあり、物心ついたときには阪神ファンに。また、小学時代には学校の野球クラブに入っていました。ただ、それ以上に、観るほうが楽しく、高校野球シーズンになると、バックネット裏のチケットをとるため、朝5時起床で球場に行っていました。結局、25歳ぐらいまでは甲子園にちょくちょく行っていたと思います。
中学校は、地元の学校に進みバスケ部に所属し、一生懸命打ち込み、また、塾にも通い忙しい学校生活を送りました。高校時代は大阪の学校に一時間以上かけて通いました。進学校だったので、平日は8時間と土曜日も授業。夏休みは3週間しかないという厳しさでした。結局、色々な大学を受けた結果、立命館大学の理工学部に進学しました。
大学は理系だったので、それなりに勉強しましたが、何か打ち込むモノを見つけられず卒業した後は、しばらくフリーターとして生活していました。
この道を志したきっかけ
大学卒業後は、しばらく家庭教師や工場のライン管理、引っ越し−など色んな仕事に取り組みました。どの仕事も覚える楽しみや社会の裏側を知る面白さはあったのですが、何かしっくり来ません。そんな折、この柔道整復師の業界の事を知りました。身体を動かすのは好きですし、人のためもなると聞いて関心をもったのですが、正直「勉強して損はないだろう」という程度の考えで、柔道整復師の学校に通い出しました。
通ってみると、勉強がかなり面白い。解剖学や生理学、運動学など体系的に身体のことが学べるので、自分がやっていたスポーツのことも違う視点でみられるようになりました。元々理系で、理屈っぽいのか、色んな情報がすんなり入りました。
実は、中学時代「靭帯損傷」という大きなケガをして地元の接骨院にお世話になったのですが、そのときの治療が、10年以上経って答え合わせできた感じです。
患者さんに会うのが楽しみ
現在、柔道整復師の学校を卒業して、冠代表とともに、患者さまの治療にあたらせて頂いております。実務経験では、年数は浅いですが、同年代の施術者たちに負けないよう勉強会などに積極的に参加しています。
関西から引っ越して3年経ちましたが、こちらに来て食べた「くわい」や「尾道ラーメン」に感動しました。まだ福山のことは勉強中なのですが、海も山も、川もあって本当に良い場所ですね。
今は朝から夜遅くまで、多くの患者様の治療にあたらせて頂いております。患者様との他愛もない会話をさせて頂いたり、患者様がよくなられたというお声を聞いたり、本当に患者様にお会いできるのが楽しみな毎日です。
これからの治療
当院では、「波田野式ハイボルト」という治療法を取り入れました。簡単にいうと、高電圧の電気刺激を、適切な間隔、周波数、時間で与えれば、「誰でも」一定の効果が「すぐに」体感できる、という治療法です。これまで電気治療の経験がある人ほど、その効果に驚かれると思います。
東洋医療の「手技」は、その人の体格、体質などにより「効く」「効かない」が分かれる事があります。ある人にはテキメン、だが、ある人には時間がかかったり、または、ほぼ効かないという事もあります。しかし、このハイボルトは違います。1日目から効果を感じて頂けます。
整骨、鍼灸などの東洋医療も、いま急激に進化しています。機械も新しくなっていますし、情報の共有化により「効く治療」が一般化してきています。効果的な治療が増えてきていると思います。
私は、これからも最新の技術を学び、効果的な治療法を皆様にお届けしたいと考えております。
口下手なので、うまく説明できるか分かりませんが、なんでも聞いてください!
この仕事をしていて良かった事
患者様の症状がよくなって喜んでもらえる時
他愛のない話をして、患者様と笑い合える時