誕生から学生時代
広島県尾道市の向島で3人兄弟の長男として生まれ、こども時分は、弟たちと野山や海を駆け回って遊ぶ元気な少年でした。小学校卒業後は、岡山県にある金光学園中学・高校に進学しました。
自宅から学校まで片道2時間の通学でしたが、6年間、ほぼ無欠席でした。丈夫に産んでくれた母には感謝しています。中学時代には空手部に所属。ほぼユーレイ部員状態でしたが、この時、武術や古武道など骨格の動かし方に興味を持ちました。高校では自転車に目覚め、年に何度かは学校まで片道70kmをロードバイクで駆って行くほど元気に。祖父が若い時に競輪選手だったので、その影響もあったのかも知れません。
この道を志したきっかけ
在学中に鍼灸師の資格を取り、4回生の時は、お医者さんでいう研修医のような実践もさせてもらいました。そして、卒業後は、高知県の中村市民病院で「特殊耳針」習得しました。その後は、奈良県の治療院に移り、でっち奉公。同時に、週2回は整形外科にも勤務してました。
20代には、朝から晩まで沢山の患者さんをみさせて頂き、また、2人の医師にも知慧を得ました。この時の経験が私の土台を作っていると実感します。
さらに、山口県宇部市でも実践を積み、都会の経営も学ぼうと福岡市に拠点を移しました。そして、柔道整復師の学校に通いながら、整骨院で働く日々が3年間、続きます。30半ばでの勉強と仕事は、正直、大変でした。支えてくれた妻に足を向けて寝られません(笑)
開業からこれまで
35歳で柔道整復師の資格を取得すると同時に、福山市山手町に「やまて鍼灸整骨院」を開業。この年は、長女が生まれ、実にめでたい年となりました。開業後はさらに忙しくなりますが、仲間にも恵まれ福山の院を後進に任せ、40歳を前に故郷の向島町に「向東整骨院」をオープンすることができました。
「地元で人助けをしたい」と思い立って、22年の歳月が流れました。祖父も父も他界しましたが、3人の子宝に恵まれ、以前より、さらに向島との結びつきが強くなっている気がします。
子どもたちの同級生や、父の旧知の方などが来院することもあり、「来る方はみな家族」だと思って、治療に臨んでいます。
この仕事をしていて良かった事
つい最近のお話です。腰から足の痛みとしびれがひどく、歩く事も困難な高齢の患者さんがいらっしゃいました。整形外科医からは「手術しか方法はない」と言われ弱ってらしたのですが、当院で治療後は、痛みもしびれもすっかり無くなり、普通に歩けるようになりました。涙ながらに喜ばれるお姿に、私たちも心から感動するとともに、改めてこの仕事のやりがいを感じました。